塵も積もれば山となる。
こんにちは、りゅうたろうです。
さて早速ですが、皆さまは日記を書かれていますか?
この記事をお読みの皆さまはおそらく私と同じく、健康の分野に興味を持って生活をされていて、『日記』というワードがよく目に入ってきているのではないでしょうか?
私は、日記について「きっと良いことなんだろうからやってみようかな」と思うことが多々ありましたが、その度「忙しくて時間もないしなー」と思ったり、過去に日記を初めてみた時もありましたが1週間程度で断念をしてしまった記憶を思い出したり。(時には3年日記などのようなものも買ったりしましたが・・・笑)
やはり「書く理由」や「書き方」も分からずにまた始めても同じことの繰り返しだから、きちんと勉強をしてからやりたいと思っておりました。
そんな中、古賀史健さん著書『さみしい夜にはペンを持て』に出会いました!
(2023年7月(株)ポプラ社より発行)
「この夜は開ける。書けば、必ず。一生、自分の頭で考えて生きたいあなたへ」と帯のキャッチコピーに惹かれた通りの内容で、「これはやる価値があるな!」「むしろやるべきだな!」と思い、その後すぐに日記を始めました。(何事も形から入るタイプで、憧れたいた皮の手帳を買い、後半部分を日記として利用していますo(^▽^)o)

この記事では、著書を初め各方面から収集した情報や、私自身の経験も踏まえて、「日記を書く理由!メリット5選!」という形でご紹介をさせて頂きます。ご共感いただけましたらぜひ私と一緒に日記ライフを初めてみましょう!
この記事を読んでいただき、『さみしい夜にはペンを持て』にもご興味が出た方はぜひ手に取ってみてみてください、個性的で想像のしやすい海の生物たち、そして主人公のタコジローの成長について感情移入しやすく、「なんのために書くのかすらもわからない」→「日記が続かない」→「日記を楽しく書くには」というように論点で、順に話が進んでいき、非常に腹落ちする内容となっておりました。
では、本編へ参りましょう。
①頭のモヤモヤを整理できる

日記を書くことで頭の中でモヤモヤしている『言葉にできていない感情』を吐き出すことができます。 頭の中の漠然とした気持ちを言語化し、紙に書き出すことができれば、そのモヤモヤからは一度解放され、頭の中の容量が空くことになるのです。
私は、「やらないといけないこと」「さっき起きたできごと」「不安なこと」「気になったこと」「したいこと」などと、あれやこれやとの中で同時に色々なことを考え、抱え続けてしまうことがあります。
そんな時よく聞くのが、「マインドフルネス(今だけに集中する)」や「デフォルトモードネットワーク(ぼんやりとする時間を作る)」など、脳を休めて脳の本来の力によって、無意識下で脳内の整理をしてもらいましょう!というものもありますが、
(私自身このアプローチも非常に大事だと思っておりますので、別の記事で改めてご紹介させていただけたらと思います)
それとはまた別に、1日の終わりに、その日あった出来事や感じたことを振り返り、今思っているあの時の感情を日記に落とし込んでいく(言語化していく)ことで、「今日はなんだか疲れてしまったけど、こういうことを考えていたからかな」や「うーん、なんだか今日は1日中イライラしてしまっていただけど、あの時ああいうの態度をされたからかな」と、漠然としていた頭や心の中の感情が、客観的に『自分の考え』として、一度頭や心の中から吐き出していくことができるのです。
「嫌なことは寝て忘れてしまおう」と、寝たら忘れることもできる方もいらっしゃるかもしれませんが、つらい日や不安な気持ちが続くと、言葉にならないモヤモヤが毎日少しづつ溜まり、うまく発散できるようなことがない人にとっては非常に危険な負の遺産が溜まってしまいます。
私も、溜め込んでしまうタイプで、どうしようもない時は、ひとりで自転車旅などをしたりと自分と向き合う時間を作り発散をしなんとか乗り越えてきましたが、日記を書くことで、モヤモヤを少しずつ吐き出し、心に余裕を作り出すことができているので、このような非常事態になるようなことはかなり減った気がしています!
これは最高なメリットのひとつではないでしょうか?
(一度吐き出した後は、そのことについて一つづつ解決していけば良いし、吐き出して自分の感情の理由がつけばそれだけで意外とスッキリして悩みも解決してしまっているなんてことも。)
②自分を知ることができる

人生最大の謎『自分とはなにか』
「自分は何者なのか、心の奥底にいる自分はなにを考え、なにを望んでいるのか、そしてその自分はどこへいこうとしているのか」
なんだかかっこよく書きましたが、日記を書き進めることで、この『本当の自分』を知る手助けをすることができるのです。
ちょっと想像をしてみてください「友達と接するときの自分」「家族といる時の自分」「恋人といる時の自分」「職場での自分」など、自分の中でもそのシーンごとの自分がいて、それぞれの自分を無意識に使い分けて生きているのではないでしょうか?
私たちは、色々な人と接して生きているし、それぞれと「うまく接しないと」と思うため、色々な自分を使い分けることはそれはそれで自然のことだと思います。
しかし、ふと『本当の自分』はどれなのかわからなくなってしまうのです。。
日々の喧騒のなか、『ひとり』になりたくなるときはないでしょうか?
それは『みんなと一緒にいると、本当の自分ではいられなくなる』からではないかと思います。
仕事の合間に公園のベンチで一息ついたり、一人カラオケに行ってみたり、喫茶店でコーヒーを飲んだり、好きな音楽を聴いて寝たふりをしてみたりと、
『ひとり』の場所に行ったり、『ひとり』の時間を作ってみたりしているのは、「なんでもない自分、誰の目も気にしない自分」を取り戻そうとしているからなのではないでしょうか。
無意識下に行われてきたそれは、『書くこと』によっても、『ひとり』を作り出すことができるのです。
本当の自分と向き合い、自分との対話が一番深まる時は、文章を『書く』ときであり、自分の思いを書く、文章にすることで、言葉にならない『思い』は形を持った『考え』に変わります。その『考え』は本当の自分の気持ちでもあるのです。
寝る前の時間に、『ひとり』で自分に向き合い、自分の声を聞いてあげる時間は心地がよいものです。
③悩みの解消になる

前の二つと重なる部分もあるかもしれませんが、日記を書くことにより悩みの解消をすることができます。
例えば、算数で23×64を頭の中で計算をするのは通常の人だと、多少なり負荷がかかると思います。しかし、紙とペンを持ち、筆算で一つづず計算をしていけば、大抵の人は簡単かつ確実に計算をすることができるはずです。
人間の「気持ちや悩み」についても、算数と同じように解いていくのが良く、暗算(頭の中であれこれ考える)ではなく紙とペン(日記)を用いて、ひとつづつ気持ちを書き出していくことで自分の悩みの種を紐解いていくことができるのです。
自分の気持ちと向き合おうとしていくと、どうしても他人の悪口や自分を責める言葉も出てくるかもしれません。
この時に大切なことは「ネガティブな感情とはうまく距離を置くことです。
「僕はバカだ」「あいつはムカつくやつだ」と書く→これは「今の自分」による「今の気持ち」
「僕はバカだと思った」「あいつのあの態度にムカついた」と書く→これは「あの時の自分」による「あの時の気持ち」に変化する。
過去形にしてみると、ネガティブな感情との間に少し距離が生まれたように感じませんか? まるでもう解決してしまったかのように、、、
さらにその後には「どうしてバカだと思ったのかな?」というような問いの投げかけを繋げていき、その問いに答えていくといった形で、日々の日記をさらに書き進めてくことができるのです。
そうやって書き終えた頃には、頭のモヤモヤはかなり整理され、一つ一つの悩みについても解決に向かっていってるのではないでしょうか。
書いても書かなくても、「そういう自分」もいるし「そういう現実」もあります。書くから悩み事が発生しているわけではなく、目に見えていなかっただけで悩みはすでに抱えていることが多いのです。そういった自分に気付き、悩みに向き合える時間はとても大事と言えるのではないでしょうか。
④考える習慣が身に付く

日記は、毎日の出来事を記録するものではなく、「その日に何を思ったのか」「その日に何を考えたのか」を具体的に書いていくものにしましょう。
小さな出来事一つでも、自分に問いを投げかけていけば、『考え』はどんどん深まっていきます。
「なぜすごいと思ったのか」「なぜこれは良くないことと感じたのか」「この出来事で自分はどうしようと思ったのか」と、あの時の自分に質問をし、より具体的な考えにしていきましょう!
なぜそこまでしなくてはいけないのかというと理由は二つあります。
ひとつは、自分の気持ちを「なんとなく」の一言で片付けていても現状はあまり進展はしませんし、言葉にならないモヤモヤは残り続け、膨らんでいってしまうからです。
もうひとつ大事な点は、自分で考える習慣を持たないまま生きるということは将来、相手の都合良いように動かされ、騙され、損をする人間になってしまうリスクがあるからです。
『考える』ことを普段からしていないと、知らないことや、何らかのむずかいしい問題に出くわした際に、誰かが用意してくれた「わかりやすい答え」に飛びつくことになってしまい、そして騙されてしまうのです。
自分で答えを出さない、答えを決めない。そうしているうちは、ずっと「可能性」が残り安心することはできるかもしれません。
しかし、この「可能性」の中に生きている限り、私たちは物事を真剣に考えなくなるのです。
考えた末、そこには明確な答えがない問いもあるかもしれません。しかし、その感情に対してその時点の答えを必ず出しましょう、見つけるものではなく出すのです。あの時の自分は、こう考えたはずだと答えを一つずつ決めていきましょう。
「思い」は真剣だろうけど、その「思い」を『考え』にまで昇華していきたいのです。
そして、日記を書くことがそのトレーニングに直結すると考えています。
⑤未来の自分へのプレゼントになる

最後は、将来書き続けた者への大きなメリットについてです。
どんな種類の文章にも、その先には必ず読者がいて、例え誰に見せるつもりのない秘密の文章(日記)であっても、そこには「未来の自分」という読者がいます。
将来、苦しんでいるとき、寂しいとき、悩んでいるとき、ふと日記を読み返すと、過去、真剣に生きてきた「あの時の自分」と向き合うことができるのです。
「あの時も何だかんだ乗り越えてきたな」「またあの楽しいことができればいいな」「あの時よりもこんなに成長しているじゃないか!」ときっと励みや希望となることでしょう。
過去の記憶は時が経つにつれて薄くなってしまいます。
なんとなく楽しかった場所や出来事は思い出せるかもしれませんが、その時の「気持ち」や「考え」まではなかなか覚えていないものではないでしょうか?
日記を開くとその記憶にいつでもアプローチできるということは、書き続けたものにだけ与えられる、最高のプレゼントと言えるのではないでしょうか。
話は少し逸れますが、人は言葉を伝え、それを受け取ることで、信頼を築いていくものです。
言い換えれば、言葉のロープを相手に投げ、それを相手が受け取り、お互いに信頼のロープをしっかり握り合った状態。そうなるためには、「わかって貰おう」と伝えなくてはならないし、「わかろうと」話を受け止めなければならないのです。
これは自分自身に対しても同じことが言えます。
読み手である未来の自分に向けて「わかって貰おう」とロープを投げることで、自分自身との信頼関係を築いていくのです。
仮に、読者が一人もいない日記なんてものがあったら、「わかって貰おう」なんてしなくなりますし、私たちは「わかって貰おう」とするから自分の感情を整理し、「わかって貰おう」とするから言葉を丁寧に選んだりします。
そうした日記を重ねていくことで、だんだんと一冊の読み物となっていき、そしてそこには「もう一人の自分」が生まれるような感覚になるのです。
そして、そのもう一人の自分とき築いた信頼関係は、将来、有事の際に必ず、自分自身を見失わず繋ぎ止めてくれるロープとなり、正しい方向に導く手助けをしてくれることでしょう。
終わりに
いかがでしたでしょうか? まだまだ、日記のメリットは数多くあるかもしれませんが、私が大きなメリットだと思った点はこの5つでした。
日記の具体的な書き方や、その他のおすすめなども順次投稿して参りますのでこちらもご期待いただければ幸いです。
この世の中は、皆さん非常に忙しくしている印象です。
漠然と心や身体、そして魂までもを削られていくのではなく、『日々メンテナンスをしながら自分が本当に進みたい方向に向かっていっていること』が良い人生なのではないかと私は考えます。
その中で目標に向かって努力をしてもいいし、しなくてもいいし、とにかく自分の心の声をきちんと聞いて、穏やかに日々を過ごすことができればいいなと願います。
私自身もまだまだこれからですが、上段の願いを皆さまと共に叶えられるように、良いものの情報発信を取り組んでまいりますので、ぜひブックマークやSNSのフォローを頂けますと幸いです。
皆様の暮らしが長閑になることを願って。 りゅうたろう



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